人生の簿記(仮)

難病(膠原病、関節リウマチ)で、凡スペックの人間の戦略コンサル挑戦記。日々気づいたことを記事しています。詳細はプロフィールを読んでください。https://bookkeepingoflife.hatenablog.com/entry/2018/07/21/132951

プロフィール 難病でも戦略コンサル海外オフィスで働ける!?

こんにちは。ジラフです。

この記事で記念すべき100記事目です。ブログを初めて2年ほど経ちました。

今まで自分の自己紹介をしっかりとして居なかったので、

私がどういう人間かを書きたいと思います。

 

まず始めに、現在私は膠原病、血清反応院生型関節性リウマチを患っていて、

薬で症状をコントロールしながら、激務で知られる戦略コンサルの海外オフィスで仕事をしています。

膠原病、関節性リウマチという病気をご存じない方のために、簡単に説明しますと、

体内の免疫機能が異常をきたし、自分自身の体を攻撃し始める病気です。

病気によって症状は異なり、消化臓器が異常をきたす人や、皮膚が異常をきたす人など、多種多様です。

私の場合は、身体中の関節が免疫機能の攻撃で破壊され、痛みを伴いながら変形するリウマチという症状です。

発症をする原因は諸説ありますが、正確なことは分かっていません。

古くは遺伝だと言われていましたが、私の親族に同じ病気の人はいません。

また患者数の圧倒的大多数は年配の女性です。

私のような20代男性という事例はほとんどありません。

難治性の病気で、完治することは現在の医療では困難です。

ただし、近年開発された生物学的製剤という薬を使えば日常生活に支障をきたすことなく、生活できます。

私は現在、ヒュミラという薬を月に一度使用することで、ほとんど健常者と同じような生活ができています。

この薬が開発される前は、白血病などと同じ抗がん剤投与と、変形した関節を手術で人工関節に置き換えるという治療しかなかったと聞いているので、本当に現代医学には感謝するばかりです。

 

前置きがすこし重くなりましたが、

人間いかなるハンディキャップでも、正しく対応すれば乗り切れるということです。

これまでブログでカミングアウトして来なかったのは、

同じ病気でコンサルをやってる人に会ったことがないので、

身元バレリスクを恐れていたからです。

ですが、よく考えれば今の会社でこの病気のことをしっているのは数名で、

彼らは皆激務で私のブログなんて目にする可能性は限りなく0に近いことと、

もし、同じ病気で苦しんでいる人が居たら、励みになるのではないか。。。

と思ってブログにもしっかりと明記しておこうと考えました。

 

「ジラフさんは特別、、、自分には無理だ!」

という感覚を持たれたくないので、限りなくフラットに私のキャリアを残りのページで語りたいと思います。

 

「誕生〜小学校」

出身はとある地方の県庁所在地の市です。

新幹線が走っていることが誇りです。

小学校は地元の有名私立!、、、ではなくて、公立学校です。

小学校の頃は、勉強しなくても成績は悪くありませんでした。

ただ、運動神経が壊滅的に悪かったので、クラスの人気者ではなく、

いじめられたことも、いじめたこともあるような、そんな人間でした。

ちなみにこの時私より成績が良かった誰よりも、今稼いでいる自信はありますし、

小学校のころの成績はほとんど関係ないと思います。

 

「中学校〜高校」

中学校では高校受験に備えて勉強を頑張っていたので、常に成績優秀グループに居ました。

コミュニケーションはそこそこあったので、副生徒会長をやったり、部長をやったりと多少目立ってはいませいた。

田舎の学校にありがちな不良が多数おり、基本的に彼らから度々いじめにあっていました。

今考えると取るに足らないことですが、当時の私は結構真剣に悩んでいました。

高校は県内で一番の進学校に行きました。

進学校では、比較的大人な同級生に囲まれ、ほとんどいじめにも遭わずに過ごすことができました。

(一部精神的に幼いサッカー部の人が私に粘着してきましたが、、、)

今でも気軽に連絡がとれる友人は高校以降の友達が多いです。

田舎の高校にありがちな安定志向のエリートくんが多く、

公務員、弁護士、医者、大企業の社員ばかりです。

同じ県出身の戦略コンサルに会ったことがありません(笑)。

 

「大学〜大学院」

ドラゴン桜の影響で、東大を目指しました。

ですが12月くらいに、これは到底受からないなーと早めに見切りをつけて、

旧帝国大学に現役合格しました。

その後サークルに入らず、勉強も適当に、バイトも適当に、、、

という暗黒時代を4年間過ごしました。

今考えても、本当に時間を無駄にしたとしか言いようがありません。

今風に言えば、まじめ系クズという存在でした。

大学は可もなく不可もなくという成績で卒業しました。

そして運命の年、2011年がやってきました。

2011年は本当に多くのことがありました。

大震災、大学院試験の失敗(人生初の挫折)、人生初の彼女との破局、そして病気の発病です。

今までなんの努力もして来なかった私への罰としか言いようのないような、

そんな一年でした。いまでも3.11になるといろいろ思い出して、苦い気持ちになります。

 

「日系メーカーの研究開発職」

理系オタクだった私は、SONYという会社に行きたかったのですが、

この年SONYは大赤字を抱えて、新卒採用を大幅に削減しました。

最終面接で落とされてしまい、失意のまま行きたくもないメーカーに就職しました。

このメーカーでは、周囲の社員のレベルも低く、

大手企業だったので、頭の硬い上司も多く、常に衝突を繰り返す日々でした。

しかし、病気であることを承知で雇ってくれていると認識していたので、

仕事にはまじめに取り組みました。

同期で一番残業したし、一番成果を出したと言い切れるようなプロジェクトをやりきりました。

同時に、日本のメーカーの未来や、研究者としての限界に思い悩み悶々とする日々を送ります。

 

「戦略コンサル(現在)」

そんなある日、登録していたリクルートを通じて、

製造業経験者向け、転職セミナーに参加しました。

そこで、今の会社のボスに出会いました。

ショーンKのようなイケメン、イケボイスで淡々とコンサルという仕事を説明する彼の存在は、

当時くすぶっていた私にはまさに衝撃でした。

コンサルという仕事自体はよくわからなかったのですが、

「どうやったらこんなビジネスマンになれるんだろう?僕もこうなりたい。」

と思ったことがきっかけで彼のいた会社を受けました。

面接は5、6回あったのですが奇跡的に突破し現在にいたります。

正直今でもなんで合格できたのかわかりませんが、

心底惚れ込んだリーダの下で働けることは、男として最高の経験だと感じる日々です。

 

面接はどれも大変でした。そして最終面接官は憧れのボスでした。

リクルートの方からは、言っても言わなくてもよいと言われていましたが、

入社後に何か言われることが嫌だったので正直に病気のことを打ち明けました。

「何か問題があるのか?これまで働けているという事実があれば十分では?人間何かハンディキャップを抱えている人間の方が、強く優しくあれると私は考えている。ようこそ我がファームへ。」

と言われてその場で転職を即決しました。

 

「まとめとこれから」

自分で書いていて思ったのですが、絵に描いたようなエリート街道というわけではないですが、

こんな経歴のエリートって居そうだな・・・という経歴ですね。

別に自慢するつもりはありません。ただ、

私より高学歴だけど、現状に満足していない人、

私より軽い病気を理由に、現状打破できないでいる人の励みになればと思い、

嘘偽りなく書きました。

 

最後に膠原病患者は、人よりも体が弱く体調を崩しやすいと言われて居ますが、

私は激務で知られる戦略コンサルで2年間生き残っています。

世間で言われるイメージや通説は、正しい知識と、周囲の人間の理解と信頼と、少しの勇気があれば覆すことができる。。。と証明したい。

これが今の私の傲慢だけど唯一のモチベーションです。